ピーノスケの秘密基地

ここは俺の日記帳。

小中高における体育の存在意義について

俺は運動音痴なので、体育には嫌な思い出しかない。

ソロで完結する競技をならまだマシだが、チームプレイで高度な技術を要求される競技は本当に辛かった。

チームプレイの競技と言えば野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールなどが挙げられる。

野球でライトを俺が担当すれば、そこがチームとして弱点になり俺の責任で負けた時の後味の悪さと言ったら半端なものではなかった。

サッカーではどうだったか?

サッカーでは何も役に立たず、案山子となって終わる。パスを回されても何をしていいか分からず困り果てていた。バスケットボールでも同様である。

このように、心理的にトラウマを残す体育という教育科目の存在意義には疑義を呈しざるを得ない。

運動不足が原因では? という意見もあるだろう。

しかし運動不足は一朝一夕では解決できない。マラソンを始めて1ヵ月で運動音痴が克服出来れば苦労はないのである。

当時、バレーボールに苦しんでいた俺を見かねたのだろう。母がボールを買ってきてくれた。俺も一生懸命、バレーボールの練習をしたが焼石に水だった記憶がある。

苦い記憶だ。母に余計な気苦労をかけてしまった。

運動音痴の多くは運動音痴のままであるという点を鑑みれば、小中高の12年間も体育を強制するのは如何なものだろうか?

運動が重要なのは理解できるが、心理的に負担にならないように配慮してほしいものだ。